ケータイ辞書JLogosロゴ 中島村(中世)


熊本県>阿蘇町

室町期に見える村名阿蘇郡湯浦郷のうち応永16年9月日の肥後湯浦郷坪付山野境等注文写(阿蘇文書/大日古13‐1)に「中島之村坪付之分五段分」とあり,7か所,計1町1反3丈が記され,うち2か所,6反が一宮年貢田,うち1か所,2反が「庄分の田地 中司免」であった続いて「同中島之山野之分」として西・東の境が記されているまた「中島之村ニ付テ野山」として北・東・南の境の記載もあるまた同注文写には,「中島村」など15か村の地頭方土貢が記され,「加用十日」の公事料1貫500文,所当米1石1斗のほか,多くの雑物・銭が課せられ,「定土貢,屋作公事」は地頭の催促に従う定めであった同年9月日の肥後湯浦郷阿蘇社役注文(同前)には,庶子方の1つとして「一所中島村五段」とあり,流鏑馬の時の的立て1人,御田会の蠅追い1人,屋形造営のための柱1本を杉薗村と寄合で出す定めであったまた応永16年9月26日の阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文(同前)には「一所二反〈庄分〉たうさく なかしま ありひやくしやう」と見える文安5年8月18日の阿蘇社造営木屋勤仕人数番定(同前)によれば,当地の知行人は中島孫九郎であった現在の阿蘇町湯浦の字中島付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453113
最終更新日:2009-03-01




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