ケータイ辞書JLogosロゴ 中西村(中世)


熊本県>阿蘇町

室町期に見える村名阿蘇郡のうち応永3年2月吉日の宇治能里証文写(阿蘇文書/大日古13‐2)に「一,狩尾三町三反の内之名主五ケ所」の1つとして「一,中西のむら」とあり,東村・尾西村・古薗村・地薗村などとともに「狩尾村」を構成していた同16年9月日の肥後湯浦郷坪付山野境等注文写(同前/大日古13‐1)によれば,「一御宮免狩尾村之検見帳之事」として,7か所,計1町4丈が記され,このうち1か所は「中西弁済司」,2か所は「中西」が作人であったまた同文書によれば,「一,狩尾之村土貢之事」は地頭方と中司方に分けられ,狩尾村を構成する「東村」「大西村」「中西村」「古薗村」「陣薗村」「堂薗村」に平均して課せられている文明16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前)には,「九御宮之分湯浦〈霜御宮同前〉」として「一所なかにし〈もミ〉五升」と見える明治初期には狩尾村の小村に中西が見え,現在の阿蘇町狩尾のうちに比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453150
最終更新日:2009-03-01




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