ケータイ辞書JLogosロゴ 中原(中世)


熊本県>南小国町

 戦国期に見える地名。阿蘇郡のうち。文明9年7月25日の阿蘇惟家置文写(満願寺文書/県史料中世1)に「肥後国阿蘇郡満願寺々領目録事」の一所として「一所中原石田」とあり,大宮司惟時の遺誡に任せて一所たりとも自他の妨げあるべからざる旨を定めている。永正9年正月11日の阿蘇惟豊宛行状(室原文書/同前)では,「小国中原之内坂下二町二段」が加恩として室原越前守に宛行われている。永禄3年10月11日の阿蘇氏家臣連署証文(満願寺文書/同前)には「於今度当所中原口合戦大利之儀,近国之覚本望候」とあり,当地で合戦が行われ,西坊北掃部頭が討死している。なお文明16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(阿蘇文書/大日古13-1)に「かふりかた」のうちとして記される「一所わた〈百文,まめ五升〉」「一所うりあけ〈二百文,まめ一斗〉」「一所ち〈二百文,まめ一斗〉」「中ゆた」「ひのくち」「しやうのを」は,江戸期の中原村の小村和田村・瓜上村・陣村,現在の中原の字和田・瓜上・中湯田・樋の口・城尾にあたる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453177
最終更新日:2009-03-01




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