ケータイ辞書JLogosロゴ 波野村(近世)


熊本県>波野村

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」549石余,「正保郷帳」も同高ですべて畠方,「天保郷帳」570石余。「旧高旧領」282石余。江戸末期までに滝水村・中江村を分村。「肥後国誌」では当村の項が2項あり,ともに久住手永に属し,一方は高276石余で小村に仁田水村・御沓村・釜迫村・南村が見え,他方は高681石余で小村に室園村・佐渡原村・中西村・棚畑村・鳥越村・井ノ迫村が見える。同書で別記される高柳村・楢木野村も当村のうちで,高柳村は高33石余,楢木野村は高280石余で小村に井ノ迫が記され,同村内に2枚立の高札場と御口屋がある。「肥後国誌補遺」によれば,高276石余,ほかに当村のうちとして仁田水村が記され,その小村に御沓・釜迫・南村が見える。また,同書に見える高34石余の山崎村も当村のうちであったと考えられる。なお,同書では中江村・滝水村が別記され,「肥後国誌」では滝水村のみ別記されている。玉蜀黍・菜種が主作物で,農耕用として牛が飼われていた。楢木野集落には当時の藩の穀物庫があり,現在民家として使われている。楢木野・御沓にそれぞれ天神社がある。南の集落の吉祥寺跡といわれる場所に観音堂などが残る。楢木野・遊雀【ゆうじやく】に寺子屋があった。穀物庫のある屋敷(堂免屋敷)の一角に明治3年の藩知事の減税の布告文を刻んだ知事の塔と呼ばれる自然石の碑がある。往時は減税(全税額の約3分の1)に感謝して春秋2回殿様祭りをしていたという。明治初年新波野村を分村したと思われる。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年遊雀学校創立。同22年波野村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453251
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ