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「西村(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

西村(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7453283]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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西村(中世)

室町期~戦国期に見える村名那賀郡のうち粉河【こかわ】寺領明徳4年11月13日の検注ヤフセ日記(王子神社文書/県史中世1)に「二貫三百六十五文 西村 又百文 リキシヤニ」とあるのが初見なお,正暦2年11月28日の太政官符写(粉河寺文書/県史中世1)に見える「粉河寺所領鎌垣東西村」は当村の前身とも考えられるが未詳東村に対して西村と称したものと考えられる永享9年6月18日の六月会頭役注文(同前)に「永享七年之とし,西村・丹生屋」と見え,粉河寺六月会の頭役を3年に1回勤仕することになっていた文明3年卯月11日の慶保田地寄進状(方衆座文書/県史中世1)によれば「粉河寺御領西村内字深田」にある田地が四日経衆に寄進されている天正13年に原型ができたと推定される「粉河寺旧記控」に「一,西之村,広田之庄古岡田といふ所有」「一,広田之庄,今中山と云」と見える(粉河寺文書/同前)「続風土記」中山村の項に「此村旧粉河村の内なりしを後に分ちて一村とすといふ」と,また粉河村の項には「粉川は旧川の名にして村の名にあらす,村名は西村といひしなるへし」とあることから,現在の粉河町粉河・中山付近に比定される

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西村(中世)
 南北朝期から見える地名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西村(中世)
戦国期に見える村名筑後国御井郡鰺坂荘のうち筑後平野の北部,宝満川左岸の沖積地に位置する村名の由来は荘の西方にある村の意か天文5年9月2日,大友義鑑は鰺坂荘のうち西村75町分を高良山座主坊に知行地として与えたが(鏡山文書/大友史料17),一方永禄5年大友義鎮は同じく西村50町を筑前計略の勲功として戸次鑑連(道雪)に宛行っている(立花文書/大友史料23)この戸次氏の知行地50町は,天正3年5月23日に道雪から娘闇千代に譲渡されており(同前),また高良社領75町も田原親賢の書状(宗崎文書/筑後国史)によれば大友宗麟によって高良社に還補されていることから,戦国末期の西村は,戸次氏の知行地と高良山座主領とに二分されていたとみられる近世には上西鰺坂村・下西鰺坂村が成立するが,これがおそらく中世の西村に相当するものと思われ,こうした戦国末期における在地の支配関係が,近世上西鰺坂・下西鰺坂両村の成立となったのであろう...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西村(中世)
南北朝期~室町期に見える村名多胡郡のうち南北朝末期の成立と推定される頼印僧正行状絵詞(県史資料編6)によれば,永和5年7月7日に「管領上野国片山ノ西□(ノ)村ヲモテ八幡本地供道場并新宮へ寄附セラル」と見え,八幡は鶴岡八幡宮と推定されることから,当地は関東管領で守護であった上杉憲方が鶴岡に寄進したことがわかる室町期の応永22年以前と推定される年未詳5月8日の長尾憲明書状(鶴岡八幡宮相承院文書/県史資料編7)では鶴岡の頓学坊に対して「西村事,無相違沙汰付御代官候了……委細之旨,御代官可有御披露之間,省略仕候」と返答しており,頓学坊は長尾憲明を仲介として上杉憲基と推定される上野守護に当地代官のことについて依頼したことがわかる吉井町片山付近に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西村(中世)
戦国期に見える村名出羽国仙北【せんぼく】山本郡のうち天正19年頃作成の「仙北郡村数日記写」に,太閤蔵入地に指定された赤平【あかひら】郷4か村・手洗【てたらし】郷39か村・卒田【そつだ】郷22か村中の,いずれにも「にし村」とある(色部文書)いずれも近世以降に村名を継承せず,現在地比定は未詳赤平郷西村は近世の刺巻【さしまき】村枝郷赤平村内に包摂されたと推定される手洗郷西村はあるいは近世の角館東前郷【かくのだてひがしまえごう】村枝郷の西野村に継承か卒田郷西村は荒川尻【あらかわじり】村内に存在した小村と推定しておく...

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西村(中世)
戦国期に見える村名越前国今南東郡池田荘水海のうち水海の小村として,水海川流域に比定される文明9年10月19日の江三郎名8分1を売却した直恕が「売主池田水海西村住人」と称しており,永正2年12月の国末名坪付にも「ミつうミ西村ちう人光正」とある元亀3年正月19日の地蔵神田下状によると「西村惣代」の道善ら6名が「西村御地蔵之御神田」2か所を小作に出しており,惣代を中心とする自立的な集団を西村と称していたものと推定される(以上,鵜甘神社原神主家文書)近世になると他の小村とともに水海村のうちに含まれた...

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西村(中世)
南北朝期に見える村名伊都【いと】郡渋田荘のうち建武2年2月25日の生松女御影堂陀羅尼田寄進状に,「在紀伊国伊都郡金剛峯寺御領志富田庄内西村字小田口西山田」と見え,当村の田地1反が御影堂に寄進されている(高野山文書/大日古1-3)当村は明徳2年4月日の年紀をもつ諸供領臈次番付書に,「二百四十六臈 志富田庄西村字小田口西山田水田一反定田五斗生松女寄進」とある(同前1-8)現在のかつらぎ町西渋田のうちに比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西村(中世)
鎌倉期から見える村名摂津国西成【にしなり】郡のうちと思われる正和4年11月日の兵庫関悪党交名注進状案(東大寺文書5/大日古)に「石見房〈西村重原住〉,刑部次郎〈西村住〉」と見え,「大日古」には「西成郡」の傍注がある当村の住人であった刑部次郎や石見房らが正和4年11月23日,兵庫関で守護使と合戦しており,彼らは東大寺年預五師賢俊から悪党として注進されているが,比定地については未詳...

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西村(中世)
 室町期~戦国期に見える村名...

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西村(中世)
 戦国期に見える郷村名...

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西村(中世)
戦国期に見える村名備前国上道郡のうち明応5年の年紀を有する備前国西大寺化縁疏并序(西大寺文書/県古文書集3)に「明応四年乙卯五月十八日夜半,西村民屋畢方飛来,炎々及寺」とあり,当村からの失火により西大寺(現岡山市西大寺中)の本堂・如法経堂などを焼失したという西大寺の近くであることから,現在の岡山市西大寺付近に比定される...

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