ケータイ辞書JLogosロゴ 計石村(近世)


熊本県>芦北町

 江戸期〜明治22年の村名。葦北郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」828石余,「正保郷帳」では「斗石村」と見え同高でうち田654石余・畠173石余,「天保郷帳」832石余。「旧高旧領」89石余。「肥後国誌」によれば佐敷手永に属し,高85石余。「肥集録」(肥後国地誌集)では白岩村・鶴木山村を懸村としている。寛永10年の人畜改帳による屋敷数11・家数54,人数95。寛永14年天草・島原の乱に際し,天草の対岸にあたるため,藩は港の警備を固め,当村にも上番所を設置した。慶安元年の方々被召置御武具の覚書(県史料近世3)によれば,同番所には鉄砲30挺・番筒3匁玉,薬箱・玉薬とも2荷,鑓10本が備えられ,藩士の上番士1人と下番の御郡筒3人が詰めた。鎮守は計石竜王宮で,八大竜王宮ともいい,元禄12年の棟札に慶長17年建立とある。口碑によれば,竜王宮の文字が刻まれている石が網に何度もかかり,その石を祀ったものという。寺院は,江戸期には庵であった浄土真宗明応寺。なお,文化11年には17町7反余が干拓された。明治3年の佐敷郷御通筋御手鑑帳(芦北町立図書館蔵文書)による戸数193・人数1,023,船数132。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年佐敷小学校計石分校が開校。同20年の戸数235・人口1,172(芦北町誌)。同22年佐敷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453455
最終更新日:2009-03-01




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