ケータイ辞書JLogosロゴ 原倉村(近世)


熊本県>玉東町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。江戸末期までに白木村から分村して成立。熊本藩領。村高は「旧高旧領」477石余。「肥後国誌」では,白木村のうちと見え,小田手永に属し,高420石余(異本では351石余),神社は阿蘇宮・妙見宮・天満宮・早鷹天満宮。氏神は白木村の八幡宮。私塾には嘉永3年〜明治10年の池田文雄の塾,安政3年〜明治12年の国友大之助の塾があった(県教育史)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田2町余・畑123町1反余,戸数187・人数809,牛3・馬101,物産は穀類のほか芋・甘藷・蘿蔔・西瓜・南瓜・茄子・梨子・柿・渋柿・郁杏・椎・梅・楊梅・櫨実・薪など,民業は農業47戸・大工職3戸・杣職6戸・桶具職5戸・石工職1戸など。同22年山北村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453585
最終更新日:2009-03-01




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