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- 原口村(近世)とは
「原口村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 原口村(近世) 江戸期の村名筑後国生葉【いくは】郡のうち地元では「はりぐち」ともいう耳納【みのう】山地東端の北麓,筑後川中流左岸の微高地上に位置するはじめ柳川藩領(田中氏),元和6年からは久留米藩領寛保3年には土田次郎右衛門が100石を知行(給知高帳)田代組に属す村高は,「元禄国絵図」682石余,「天保郷帳」905石余筑後川沿いの村で,一部は豊後国と接する大川筋の淵名に,豊筑境谷下の長淵,袋野水道貫口の獺瀬【うそのせ】,掘貫出口のよろい淵,袋野のからふり瀬・百貫瀬・牛瀬・有王淵・地蔵淵があげられている(啓忘録抜萃)筑前林田村へ至る筑後川柳瀬歩渡しがあった原口・山北両村に属する「凡そ15町四方」(筑後志)の大野原は,開墾後大野原開として聞次1を置いた(在方諸覚書)寛文13年大庄屋田代重栄が獺瀬から地蔵岩に至る18町30間余に岩盤をくりぬいた隧道袋野水道を作り,原口村・大石村・大野原の水利を開き,延宝7年その子重仍が地蔵岩以西の溝渠を整えた(吉井町誌)また,男島に堀切の長さ約120間・横34間・深さ10間の土を掘った跡があり,用水路計画の跡と伝える(浮羽郡案内)文久元年~明治4年安元八束によって寺子屋が開かれた(県教育史)西原口に東西両原口の氏神を祀る天満宮があり,地蔵堂1,藪神辻堂15などがある(寛延記)袋野名に大庄屋田代重栄を祀る田栄社,袋野匿溝碑などがある藩領内では江戸中期頃から当村を東原口村・西原口村・大野原村の3か村に分けており,「旧高旧領」はこの3か村を分けて記載する江戸中期~明治初年に当村は東原口村・西原口村・大野原村の3か村に分かれたなお,この3か村は明治9年に再び合併し,三春村と称することになる現在の浮羽町三春にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期の村名日向国諸県【もろかた】郡のうち大淀川支流萩原川右岸に位置する鹿児島藩直轄領都城郷に属す村高は,寛文4年「日向国諸県郡村高辻之帳」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」ではともに1,353石余元禄11年「日向国覚書」には,当村とは別に「原口村 榶木【へぼのき】村」「原口村内 森木園村」の名が見えるが,村高の記載はないこのように幕府へ提出された郷帳類には当村名が見えるが,「薩藩政要録」や「島津家列朝制度」など鹿児島藩の行政的な史料ではほとんど見受けられず,藩領内では上長飯【かみながえ】村と称するのが一般的であった「旧高旧領」には上長飯村と見え,村高1,843石余とあるなお,明治前期の「日向地誌」は元禄15年頃までは原口村と後久村の2か村に分かれていたが,そののち合併して上長飯村と改称したと記す... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治9年の村名阿蘇郡のうち九州山地北西部,川走川左岸に位置する江戸末期までに草ケ部村から分村したと思われる熊本藩領村高は「旧高旧領」232石余「肥後国誌補遺」では野尻手永に属し,高232石余寛政2年の手鑑によると,戸数26・人口116,牛23・馬7(高森町史)熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年芹口村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 原口村(近世) 江戸期~明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野中央部,坪井川上流と井芹川上流に挟まれた台地上に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」259石余「肥後国誌」によれば五町手永に属し,高259石余,小村に古閑山がある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年明徳村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」