ケータイ辞書JLogosロゴ 稗方村(近世)


熊本県>菊池市

 江戸期〜明治22年の村名。菊池郡のうち。薭方村とも見える。熊本藩領。慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)では,高332石うち田251石余・畠80石余。村高は,「寛永郷帳」332石余,「正保郷帳」も同高でうち田251石余・畠80石余,「天保郷帳」338石余,「旧高旧領」408石余。「肥後国誌」によれば深川手永に属し高397石余。また文化・文政年間の深川手永手鑑によれば,高397石余,請免は226石余,竈数65・人数289,牛40・駄馬58(肥後藩の農村構造)。石切りの地名があり,「菊池風土記」に「石工多し,石を取場所有り」と見える。柔らかくて細工のしやすい稗方石が採れた。稗方には御鞍打佐藤氏が住んでいた。氏神は稗方菅原神社。例祭の後座祭りを伝え,座組のなかから両親そろった青年男女を選んで仮の夫婦として対座させ,羽織袴,裾模様姿の両名が,三三九度の盃事を行うというもの(県祭礼調)。また6月には肥後神楽の流れをくむ勇壮な稗方神楽が行われる。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田35町7反余・畑69町9反余,戸数81・人数381,牛1・馬65,字居屋敷に人民共立小学校があり,生徒数は男22・女10,物産は穀類のほか繭・甘藷・芋・柿・茶・生糸など,民業は農業78戸・石工職2戸。同22年城北村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453624
最終更新日:2009-03-01




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