ケータイ辞書JLogosロゴ 東村(中世)


熊本県>阿蘇町

室町期に見える村名阿蘇郡のうち応永3年2月吉日の宇治能里証文写(阿蘇文書/大日古13‐2)に,「一,狩尾三町三反の内之名主五ケ所」の1つとして「一,ひかしのむら」とあり,中西村・尾西村・古薗村・地薗村などとともに「狩尾村」を構成していた同16年9月日の肥後湯浦郷坪付山野境等注文写(同前/大日古13‐1)によれば,「一御宮免狩尾村之検見帳之事」として7か所,計1町4丈が記され,このうちの2か所は「東弁済司」が作人であったまた同文書によれば,「一,狩尾之村土貢之事」は地頭方と中司方に分けられ,狩尾村を構成する「東村」「大西村」「中西村」「古薗村」「陣薗村」「堂薗村」に平均して課せられている同年9月26日の阿蘇社領権大宮司方催促方田数坪付注文(同前)によれば,狩尾村の「ひかしのうちからもと田地五反」が庄分であった下って文明11年12月17日の阿蘇社領宮地居取田検見馬上帳(同前)には,「狩尾郷」として21か所,総田数2町2反4丈が記され,そのうち3か所(一のつほ・竹下・さこ田)は作人が「ひかし」であった同16年8月28日の阿蘇十二社同霜宮最花米注文(同前)には,「九御宮之分湯浦〈霜御宮同前〉」に「一所ひかし〈もミ〉五升」と見える現在の阿蘇町狩尾の通称名として残る
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453658
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ