ケータイ辞書JLogosロゴ 東走潟村(近世)


熊本県>宇土市

江戸期〜明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち浜戸川(旧緑川本流)と緑川(嘉永新川)が合流するあたり,浜戸川右岸に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」715石余「肥後国誌」によれば銭塘【ぜんども】手永に属し,高679石余,神社に将軍大明神社があった同社は,征西将軍宮懐良親王が八代【やつしろ】から菊池へ移った際,幾人かの臣下が当地に残り,親王を祀ったことに由来すると伝え,地元では将軍さんと称された天保年間に西走潟村へ移転安政3年の銭塘手永手鑑(天明村誌)では,田34町5反余・畑6町余の高679石余,田7反余・畑2町6反余の高28石余,御藪1反余が記され,竈数34・人数113,薬師堂1・観音堂1,天神・荒神森25とある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年走潟村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453660
最終更新日:2009-03-01




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