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平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平野村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
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平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平野村(近世) 江戸期の村名佐賀郡のうち嘉瀬川中流の西岸に位置する小城【おぎ】藩領佐保川島郷に属す「宝暦郷村帳」では小村に鶴村・川田村,「天明郷村帳」「文化郷村帳」ではともに小村に鶴村・川田村・石原古賀がある村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに611石余,「天保郷帳」では641石余「旧高旧領」には見えない神社には白山妙理権現社(白山権現)があり,遷宮野は淀姫神社の神体が毎年,平野の大門神に遷御の折,みそぎ,はらいの儀が行われたところという(大和町史)寺院は臨済宗南禅寺派瑠璃光山好昌院(薬師如来)・臨済宗南禅寺派瑞雲山竜徳院(薬師如来)がある宝暦10年には佐保川島郷大庄屋中原忠蔵(只右衛門尉正純),天明5年には佐保川島郷大庄屋中原吉左衛門がいた享保17年の飢饉の時中原只右衛門は米倉を開放して難民に粥を与えた同年の「御蔵入御物成目安」には落米81%,同18年11月の幕府への書き上げには落米73%とある正純はのち竜徳院に佐保川島郷内餓死者供養塔と大乗妙典一千余部を納めた供養塔を建立している行事では,大日さんごもりまたは大日さん祭り(4月28日,白山権現境内の天照大神宮の自然石),灌仏会(4月8日),彦山参り(3~4月の農間期),草相撲(餓死塔供養のため)が行われている民俗芸能には,平野浮立(10月15日)がある当村内の地名の「うじょうやしき」は大庄屋屋敷が,「倉前」は郷内の納米を入れる倉庫があったことを示しているといわれる名護屋橋の賃取橋の標柱が白山妙理権現社にある「郷村区別帳」では下戸田村の枝村として見える「明治11年戸口帳」によれば東山田村のうちに「平野分」と見え,戸数89・人口392... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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平野村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
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平野村(近世) 江戸期~明治12年の村名県東部,元荒川左岸の自然堤防上に位置する埼玉郡岩槻【いわつき】領のうち古くは箕輪【みのわ】郷騎西【きさい】荘に属したという岩槻藩領村高は「田園簿」では439石余延宝8年では,村高40石余,家数63軒,うち本百姓23軒・分ケ地24軒・水呑16軒,人口は392岩槻城の支配筋は新方筋に属す(吉田文書)貞享3年は,村高636石余・新田高98石余,ほかに柳原銭永5貫118文・藍瓶役鐚424文・見取場田畑5反3畝17歩(松平文書)元禄末期の小笠原氏支配時には平野村と記載され,村高735石余,うち100石が名主・組頭高引で,ほかに300石が割元高引とあり,五ケ筋割元の1つ平野筋割元を務めている(光山文書)「天保郷帳」では732石余村の規模は東西21町・南北25町化政期の家数77軒鎮守は稲荷社神社はほかに末社4社寺院は新義真言宗西福寺で,開基了俊は明暦3年の示寂と伝える高札場は村の東部小名は清賀・上手など村内を東西に粕壁【かすかべ】街道が通る用水は元荒川より引水明治4年埼玉県に所属明治9年の戸数77・人口442,馬12,稼船15・耕作船25,荷車1・人力車1物産は米・大麦で,余剰を岩槻町へ出荷明治12年郡区町村編制法施行に伴い,南埼玉郡南平野村となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」