ケータイ辞書JLogosロゴ 広崎村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」498石余,「正保郷帳」も同高でうち田205石余・畠293石余,「天保郷帳」537石余,「旧高旧領」778石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高731石余,小村に古閑が見える。江戸期には秋津川の舟運が盛んで,熊本藩米蔵のある川尻まで農産物を搬送し,村内の舟場も物資の集散地としてにぎわった。氏神は木山町村の木山神宮。村内に府内権現社・天神社・加久羅社(現神楽社)がある(肥後国誌)。地内の木山往還や戸島往還(間島往還)は乾燥台地を掘り割った凹道で,軍事的配慮があったと伝え,今も農道として残る。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田24町3反余・畑115町2反余,戸数88・人数434,馬80,物産は繭・米・野稲米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・菜種・蕎麦・甘藷など,民業は農業83戸・質屋1戸など。明治22年広安村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453782
最終更新日:2009-03-01




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