ケータイ辞書JLogosロゴ 福原村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,597石余,「正保郷帳」も同高でうち田1,150石余・畠447石余,「天保郷帳」1,645石余。「旧高旧領」509石余。江戸末期までに北福原村・中福原村・下福原村を分村。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高2,109石余,当村は上福原村・下福原村からなる。また同書によれば,小村は南福原村・河内田村・袴野村・鳥越村・田中村・松窪村・柳下水村・内寺村・谷口【たにご】村・柿迫村・安養寺村・福田寺村などと見え,寺院は浄土真宗東派皆乗寺(旧浄見寺)・天台宗安養寺が記される。ほかに浄土真宗寿徳寺がある。当村の内外に寺領をもつ安養寺は明治初期に廃寺,境内は寺屋敷と呼ばれ,本尊の薬師如来像は地内内寺に移し祀られた(益城町文化財報告)。万治2年開基の皆乗寺は元禄7年地内畑中に移り,水害のため享保13年田中に移転した。(上益城郡誌)。谷川村には,祭神が藤原景清の左の眼球という左の目八幡宮がある。延宝年間から眼病に霊験があるとされ参詣者が増え,嘉永年間拝殿を造営したという(同前)。村内に八幡宮・若宮・十王堂がある(肥後国誌)。幕末期の熊本藩の儒者嵯峨朝来の墓が字田中にある。習字の寺子屋として文久年間〜明治期に教師1・生徒数男150の寺子屋,安政年間〜明治5年に教師1・生徒数男30のものがあった(肥後読史総覧)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年北福原村・中福原村・下福原を合併。同年設立の福原小学校の同11年の生徒数は男56・女13(県教育史)。「郡村誌」によれば,田86町5反余・畑104町9反余,戸数336・人数1,558,牛100・馬283,用水は長谷・福田寺・村上・烏山などの溜池を利用,字南園に人民共立小学校があり,生徒数は男68・女20,物産は繭・米・野稲米・大豆・小豆・裸麦・大麦・小麦・粱・蕎麦・菜種・甘藷・芋・蘿蔔・櫨実・煙草・生糸・清酒・焼酎,民業は農業307戸・木挽職3戸・造酒職1戸・質屋3戸。同22年福田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453826
最終更新日:2009-03-01




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