ケータイ辞書JLogosロゴ 二俣(中世)


熊本県>玉東町

 戦国期に見える地名。玉名郡のうち。天文4年の年紀を有する年月日未詳の鹿子木親員知行目録(鹿子木文書/県史料中世1)に「一町 二俣」と見え,地内の一部が鹿子木寂心の知行地となっていた。なお享禄3年12月頃に作成されたと思われる正嘉元年11月1日の年紀を有する玉名郡山北郷惣牓示証文写(相良剛氏所蔵文書/玉東町文化財調査報告第1冊西安寺の調査)には,山北郷の東の牓示に「二俣之内庄之原之山崎より鉢之峰之下」とあるが,同文書は検討を要する。また享禄3年12月3日の西安寺の住僧重円書状案(同前)によれば,大永7年から円台寺と山北の山境い相論が行われているが,山北郷の境を当地の那智権現の出口の道辻限りと主張しており,当村の一部は西安寺の寺領内に含まれていたのではないかと推定され,また先の正嘉元年の証文もその際に作成されたと思われる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453875
最終更新日:2009-03-01




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