ケータイ辞書JLogosロゴ 二俣村(近世)


熊本県>玉東町

 江戸期〜明治22年の村名。玉名郡のうち。熊本藩領。天正16年のものと推定される慶長9年9月付の検地帳(県立図書館蔵文書)では田畠ともに88町余。村高は,「寛永郷帳」650石余,「正保郷帳」も同高でうち田262石余・畠387石余,「天保郷帳」700石余,「旧高旧領」835石余。「肥後国誌」では,「二俟村」と記され,小田手永に属し,高783石余,小村に古閑村・庄ノ原村・横林村・中原村・陣林村・助吉村・瓜生田村・地園村・藤尾村・針ノ窪村・中尾村が見え,神社は天満宮・早鷹天神社・箱崎大明神社・阿蘇大明神社。氏神は白木村の八幡宮。文化14年古閑講中により瓜生田に歯吹如来石像が建立された。文政7年〜明治4年の星子格次の私塾があった。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治8年小学校設立。同10年の西南戦争では二俣横平山で激戦が展開された(玉東町歴史年表)。「郡村誌」によれば,田28町5反余・畑95町5反余,戸数146・人数635,馬123,水車2,物産は穀類のほか甘藷・蘿蔔・午蒡・胡蘿蔔・南瓜・茄子・梨子・柿・郁杏・梅・栗・櫨実・楮皮・茶・清酒・焼酎など,民業は農業126戸・大工職2戸・木挽職2戸・桶具職1戸・水車職2戸・造酒職1戸など。同22年山北村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7453876
最終更新日:2009-03-01




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