ケータイ辞書JLogosロゴ 松山村(近世)


熊本県>宇土市

 江戸期〜明治22年の村名。宇土郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,765石余,「正保郷帳」も同高でうち田1,253石余・畠511石余,「天保郷帳」1,768石余。「旧高旧領」では下松山村が別に記され,松山村の高1,398石余。「肥後国誌」によれば松山手永に属し,下松山村が別記され,当村には「里俗上松山村ト云」とあり,高1,390石余,小村には山内村・畑中村・庄屋村・柿木原村・恵西寺村などがある。なお明治3年の立岡大堤養水手鑑(前田家文書)では,高1,389石余,水利懸田反別58町7反余とある。松山神社は阿蘇・甲佐の両神宮を祀るが,両宮は20年ごとの年紀祭に,祭神上陸の船着場という中野菅原神社へ神輿式があり,また25年ごとの年紀祭では,松山神社のフルヤシキという古保里の堀内氏方へ神輿式がある。社殿左手には享保2年銘の「松山伝右衛門尉政之書」と刻んだ灯籠などもある。寺院に浄土真宗本願寺派宝林寺がある。口碑によれば,五家荘に隠れた平家の落人がのち出家して海東村に一宇を建て,その後当地へ移されたという。熊本県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。同年下松山村を合併。「郡村誌」によれば,田114町6反余・畑89町9反余,戸数201・人数935,馬123,字厳島に人民共立小学校があり,生徒数は男104・女54,物産は穀類のほか蘿蔔・芋・甘藷など,民業は農業190戸・大工職2戸。同22年花園村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454091
最終更新日:2009-03-01




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