ケータイ辞書JLogosロゴ 馬水村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」711石余,「正保郷帳」も同高でうち田327石余・畠384石余,「天保郷帳」721石余,「旧高旧領」986石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高974石余,社堂に若宮・天神社・十王堂がある。中央を木山往還が通る。氏神は木山町村の木山神宮。幕末期〜明治期に習字の寺子屋があり,教師1・生徒数男20(肥後読史総覧)。文政年間鉄砂川で製鉄が行われた(肥後近世史年表)。明和〜安永年間,権現堂下の湧水は諸病を癒すとの風聞が広まり,多くの人が参銭を納めて水を持ち帰ったという(古今肥後見聞雑記/肥後国地誌集)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治11年における共立小学校の生徒数は男26・女4(県教育史)。「郡村誌」によれば,田22町2反余・畑58町7反余,戸数96・人数444,馬81,人民共立小学校があり,生徒数は男27・女18,物産は繭・米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・蕎麦・菜種・甘藷・芋・煙草・鶏卵・鎌・釘など,民業は農業89戸・鍛冶職1戸・大工職2戸。明治18年に安永・馬水・惣領の各校を合併し村内駿河原に駿河小学校を設立した(広安小の百年)。同22年広安村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454102
最終更新日:2009-03-01




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