- JLogos検索辞書>
- 乱橋村(近世)とは
「乱橋村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
乱橋村(近世) 江戸期~明治8年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
乱橋村(近世) 江戸期の村名相模国鎌倉郡のうち滑【なめり】川河口北東に位置し,東側は谷あい地鶴岡八幡社宛の天正19年徳川家康寄進状写に「六十八貫五百五十文 乱橋」と見える「元禄郷帳」にも村名が見え,高52石余と永74貫余幕府領と鶴岡八幡社領「新編相模」には「正保の改には当村(材木座村)一村たりしを元禄の改に至り分て二村とし,乱橋村・材木座村と別称す」とあり,村名は「吾妻鏡」に濫橋と載せる地内の橋名にちなむと記す寺院には,真言宗感応寺,時宗来迎寺,浄土宗九品寺,日蓮宗啓運寺・妙長寺・実相寺を掲げるただし「鎌倉近世史料」は寛文年間争論が起きて分村したと記す三浦半島基部相模湾に面して立地し,海岸沿いが材木座村,その北方が当村となるが,年貢割附状・皆済目録をはじめ乱橋材木座村と記されることが多い「天保郷帳」は「古者材木座村・乱橋村二か村」とし乱橋材木座村,「旧高旧領」にも乱橋材木座村と見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
乱橋村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」