ケータイ辞書JLogosロゴ 宮園村(近世)


熊本県>益城町

 江戸期〜明治22年の村名。上益城【かみましき】郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」947石余,「正保郷帳」も同高でうち田586石余・畠361石余,「天保郷帳」960石余,「旧高旧領」1,267石余。「肥後国誌」では沼山津手永に属し,高1,252石余。文久年間〜明治3年に多田十左衛門の習字塾があり,生徒数は男35,安政年間〜明治5年には千場経保の習字塾があり,生徒数は男30(県教育史)。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,田40町2反余・畑91町3反余,戸数97・人数444,牛1・馬65,水車2,用水は居屋敷溜池を利用,物産は米・大豆・小豆・裸麦・小麦・粱・蕎麦・菜種・櫨実・鍬・鎌・包丁・清酒・焼酎など,民業は農業85戸・造酒職1戸・大工職2戸・左官職1戸・石工職1戸・鍛冶職2戸など。明治22年木山町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454267
最終更新日:2009-03-01




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