ケータイ辞書JLogosロゴ 宮原(中世)


熊本県>宮原町

 戦国期に見える地名。八代郡のうち。天文5年11月22日の沙弥洞然(相良長国)長状写(相良家文書/大日古5-1)に「翌日早々八代江打越候,次第々々求麻芦北之人数,次昼夜馳続候間,敵足軽少々宮原迄雖来候」とあり,永正8年当地で八代の相良氏と宇土【うと】の名和氏の間で合戦が行われている。なお年未詳3月21日付の相良長唯書状(同前)に「殊米良宮内少輔,帋屋越後守,長嶺肥後守,稲□□郎三郎,於宮原逗留候間」と見える。「八代日記」永禄2年7月26日条には「宇土ヨリ動,宮原まて放火」とある。なお同書享禄3年9月12日条に「宮原三宮之本社立〈甲午歳二宮立〉」,天文7年6月26日条に「宮原二之宮・三宮移宮」などと見え,当地に中心神社としての宮原三神宮があり,同書同19年6月30日条に「晴広さま高津賀ヨリ宮原御社参候て,如麓御帰宅」,永禄5年9月29日条に「宮原やふさめ」などとあり,相良晴広の参詣や流鏑馬が催されたことがわかる。なお「天正十六年参宮帳」(大分県史料25)には「〈天正十六年七月五日〉肥後八代宮之原法閑寺之全守坊」とあり,法閑寺の存在と全守坊の伊勢参宮が知られる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454292
最終更新日:2009-03-01




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