ケータイ辞書JLogosロゴ 免田村(近世)


熊本県>免田町

 江戸期〜明治22年の村名。球磨郡のうち。人吉藩領。村高は,「寛永郷帳」では「面田村」と見え142石余でほかに新田畑442石余,「正保郷帳」も同高でうち田95石余・畠47石余,「天保郷帳」814石余,「旧高旧領」では永池村を含めて3,385石余。諸郷地竈万納物寄によれば,永池村を含めたと思われ,宝暦・明和年間頃の家数334うち諸奉公人12・寺社8・郷士85,安永3年改の人数1,683,享保2年改の反別は田234町余・畑71町余(斉藤氏所蔵文書/人吉藩の政治と生活)。当地は人吉盆地の中央部であることから,江戸期を通じて交通の要衝となっており,字黒田(一部は上村に属す)に免田の茶屋と称する茶店が並んでいた。明治4年永池村を合併。人吉県,八代【やつしろ】県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。「郡村誌」によれば,戸数337・人口1,441,牛205・馬335,田256町9反余・畑147町余・山林17町4反余。同9年字原の下・神殿原【こうどんばる】および西別府【にしのびゆう】の地の7戸,免田茶屋の2戸を上村に編入。同22年市制町村制施行による免田村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454360
最終更新日:2009-03-01




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