ケータイ辞書JLogosロゴ 安永村(中世)


熊本県>益城町

 室町期に見える村名。託麻郡六箇荘のうち。地名としては鎌倉期から見え,永仁5年3月の年紀のある現益城町福原の福田寺跡五輪塔銘(肥後読史総覧)に,「当国六ケ庄上安永地頭沙弥是□(有)之在生之時奉造立五輪塔也」とあり,当地が上・下に分かれていたことが知られる。なお鎌倉中期と推定される年月日未詳の久我家領目録(久我家文書/岐阜県史古代中世4)には,家領の1つとして「安永」が見える。正和5年5月12日の関東下知状案(詫摩文書/県史料中世5)によれば,「砥河・木崎・上安永・鯰郷者,為新補地間,自往古不相綺」とあり,当地は新補地頭支配の地で,六箇荘惣追捕職の所務権は及ばないことが確認されている。建武5年3月7日の少弐頼尚知行預ケ状案(同前)によれば,当地などが詫磨別当太郎宗直に一族の兵粮料所として預け置かれている。一方,正平2年9月20日の恵良惟澄官軍恩賞所望交名并闕所地注文案写(阿蘇文書/大日古13‐1)には,抹消してはあるが「六箇庄内下安永地頭職」とある。応永6年3月5日の戸賀崎氏範施行状(詫摩文書/県史料中世5)には,「肥後国六ケ庄内志那子・桑原・安永三ケ村」とあり,当村など3か村を詫磨別当方代官へ打ち渡すように命じている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454422
最終更新日:2009-03-01




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