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山田村(中世)


 鎌倉期に見える村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7454517]
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角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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山田村(中世)

 鎌倉期~戦国期に見える村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
南北朝期から見える村名能登国のうち「華頂要略」所引の「門葉記」に載せられた暦応3年4月19日付光厳上皇院宣に「能登国大屋庄十ケ村……山田村」とあるのが初見能登国田数注文によれば大屋【おや】荘は鹿島・鳳至【ふげし】両郡にわたっていた(鎌遺2828)ので,当地も両郡境界の山地,すなわち東流する山田川と西・南流する小河川の分水嶺周辺の谷々に位置したと考えられる現在の能都【のと】町・穴水町にまたがるが,正確な比定地は不詳大屋荘の地頭は鎌倉初期から長(長谷部)氏が相伝し,一族が荘内に分布したが,「長氏系図」は長谷部信連の六男を「大屋庄山田之地頭」と措定している(輪島市史)その後,文安3年10月2日付能登守護畠山義忠奉行人奉書に「御料所山田村内上村分事」とあり(筒井文書),室町中期には室町幕府料所であった時期もあったと思われるが,なお不詳である永禄8年鳳至郡中四組定書によって郡中の一向宗門徒は4組に組織され「山田四ケ村」も穴水・諸橋六郷などとともに1組をなした(阿岸本誓寺文書)このためか,中世末期の天正17年6月26日検地打渡状には「諸橋組山田之内院内」と現れている(能登国古文書)当地は中世末ごろから多くの村落を内含する上掲史料に「山田之内」とある院内の今蔵神社には輪島河井の重蔵神社を文明12年7月22日勧請したことを伝える棟札を所蔵し,その裏面には山田郷の14か郷として院内名・木住【きずみ】名・八ノ田【はちのた】名・神道【じんどう】名・吉谷名・武連【むれ】名・柏木名・魚地【うおのじ】名・木戸名・本江【ほんごう】名(以上,現在の能都町内に比定),曽山名・伊久留【いくろ】名・菅谷名・此木【くぬぎ】名(以上,現在の穴水町に比定)を掲げて,各名は毎月順番に奉仕するとしているなお,近世の山田郷内には木原村(現在の穴水町大字木原)があった(三州志)が,同村の白山神社所蔵鰐口銘文に「能州鳳至郡山田新田内木原村本願主堂下五郎兵衛盛家,奉寄進鰐口白山宮,永禄元年五月吉日敬白」とあり,同村は中世末期山田新田内に含まれたことが知られる(銘文集成)ここに見える堂下盛家は上野国から来住した当村の草分百姓と伝えられている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
南北朝期から見える村名能登国のうち「華頂要略」所引の「門葉記」に載せられた暦応3年4月19日付光厳上皇院宣に「能登国大屋庄十ケ村……山田村」とあるのが初見能登国田数注文によれば大屋【おや】荘は鹿島・鳳至【ふげし】両郡にわたっていた(鎌遺2828)ので,当地も両郡境界の山地,すなわち東流する山田川と西・南流する小河川の分水嶺周辺の谷々に位置したと考えられる現在の能都【のと】町・穴水町にまたがるが,正確な比定地は不詳大屋荘の地頭は鎌倉初期から長(長谷部)氏が相伝し,一族が荘内に分布したが,「長氏系図」は長谷部信連の六男を「大屋庄山田之地頭」と措定している(輪島市史)その後,文安3年10月2日付能登守護畠山義忠奉行人奉書に「御料所山田村内上村分事」とあり(筒井文書),室町中期には室町幕府料所であった時期もあったと思われるが,なお不詳である永禄8年鳳至郡中四組定書によって郡中の一向宗門徒は4組に組織され「山田四ケ村」も穴水・諸橋六郷などとともに1組をなした(阿岸本誓寺文書)このためか,中世末期の天正17年6月26日検地打渡状には「諸橋組山田之内院内」と現れている(能登国古文書)当地は中世末ごろから多くの村落を内含する上掲史料に「山田之内」とある院内の今蔵神社には輪島河井の重蔵神社を文明12年7月22日勧請したことを伝える棟札を所蔵し,その裏面には山田郷の14か郷として院内名・木住【きずみ】名・八ノ田【はちのた】名・神道【じんどう】名・吉谷名・武連【むれ】名・柏木名・魚地【うおのじ】名・木戸名・本江【ほんごう】名(以上,現在の能都町内に比定),曽山名・伊久留【いくろ】名・菅谷名・此木【くぬぎ】名(以上,現在の穴水町に比定)を掲げて,各名は毎月順番に奉仕するとしているなお,近世の山田郷内には木原村(現在の穴水町大字木原)があった(三州志)が,同村の白山神社所蔵鰐口銘文に「能州鳳至郡山田新田内木原村本願主堂下五郎兵衛盛家,奉寄進鰐口白山宮,永禄元年五月吉日敬白」とあり,同村は中世末期山田新田内に含まれたことが知られる(銘文集成)ここに見える堂下盛家は上野国から来住した当村の草分百姓と伝えられている...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える村名...

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山田村(中世)
 鎌倉期~室町期に見える村名...

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山田村(中世)
 平安末期~戦国期に見える村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
戦国期に見える村名備前国邑久【おく】郡のうち地名としては,宝徳4年2月9日の大夫二郎田地沽券(本蓮寺文書/県古文書集2)に「下山田」の地名が見え,これが当村のことをさすとすれば,室町期にまでさかのぼり得るまた文明元年10月8日の山田ノ吉末田地沽券および翌2年極月6日の同畠地沽券には「〈山田〉吉末」の名が見える(同前)なお年未詳ながら備前国山田村相伝系図(八坂神社文書下)によれば,当村は兼俊なる者が所務職(預所か)を保有し,それを兼安・妹藤原氏女に半分ずつ分割譲与したが,相論が生じている当村は,祇園社領であったとみられる村名としては,文亀2年12月13日の重清三郎右衛門・嫡子二郎三郎連署田地売券(本蓮寺文書/県古文書集2)に「山田村重清名内田地」とあり,「石原佐渡守殿御内加賀女房」に売却されている戦国期には当村内の多くの田地が牛窓本蓮寺に売却・寄進されており,永正5年12月13日の馬場平右衛門尉長真寄進状によれば「鹿忍山田村椿井里廿一坪吉末抱分」の田地1反が牛窓本蓮寺に寄進され,大永2年2月9日の石原能俊田地売券によれば,「山田村・池之内」両所境の田地2貫800文が石原大炊助に売却されている(同前)また永禄2年10月13日の円住坊日厳寄進状(同前)によれば,円住が本蓮寺に寄進した田地2反の公事銭は「山田村是安」に納められることになっていたこれら本蓮寺に売却または寄進された当村内の田地6反35代が元亀4年9月吉日の本蓮寺寺領帳(同前)に書き上げられている現在の邑久町上山田・下山田付近に比定される...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
南北朝期~戦国期に見える村名安芸国高田郡麻原郷のうち現在の高田郡甲田町上小原付近に比定される正応2年正月23日の沙弥某譲状に「所々散在名田畠」のうちに「一所田二反〈景行給田〉山□□(田村カ)」とあり,山田村の可能性がある(田所文書)毛利広房重書案の中の建武3年7月2日の毛利時親譲状案には「吉田郷山田村知行せられ候て,可有在京候」とあり,毛利時親が曽孫元春に在京料所として山田村を譲ったことが見え,永和2年5月の毛利元春自筆事書案にも「為在京料所,吉田郷,山田村,京屋地二所〈一所北少洛(路)堀河,一所北少洛(路)町〉先宛給畢」と同様の記述が見える同じ毛利元春自筆事書案に時親の子であり元春の祖父にあたる貞親(朗乗)が建武3年11月に出家遁世し,元春を頼って越後から安芸に移った際に「馮元春下向芸州之間,吉田郷内上村,麻原郷内山田村,為時䉼所,朗□(乗)一期可有知行之由令申」とあり,祖父貞親の一期分として与えられたことが見えるまた,「元春相伝知行以後四十余年,雖為一ケ度,宝乗(親衡)無競望之処,初而応安七年七月宝乗構城槨,仍舎弟大膳権大夫同越後守持彼城之間,愚息等麻原城追落之由申」とあり,応安7年頃に混乱のあったことが見える天文9年の毛利氏と尼子氏の間に起こった郡山合戦に際して,天文10年2月16日の毛利元就郡山籠城日記に「大内勢陶五郎(晴賢),十二月三日為後巻,山田中山江山陣,勢数一万也」とあり,大内勢の陣がおかれていた(毛利家文書)...

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山田村(中世)
 鎌倉期~室町期に見える村名...

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山田村(中世)
戦国期に見える村名出羽国秋田郡のうち天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「野田村・山田村」405石余とある(秋田家文書)「慶長6年秋田家分限帳」にも,秋田氏一門とみられる不染斎の代官所支配の村に「五十目庄之内山田村」1,208石余とある前者で並記された野田村は馬場目【ばばめ】川下流右岸の野田村とみられ,後者は五十目【ごじよのうめ】のうちと明記ともに馬場目川流域の村とみられ,近世初期には樋口【とよぐち】村内に山田村があり(延宝8年5月8日指紙/払戸渡部家文書),五十目山内【さんない】村も山田村とも称したという(秋田風土記)前者は,慶長8年時の野田村の村高114石余から推して,山田村300石前後となり,一見して五十目山内村(慶長8年428石余と推定)または樋口村枝郷の山田村かとみられるが,同時期の朱印状写に記載された樋口村810石余,蔵入地山内村996石余の石高からして,介在する余地はない豊【ゆたか】川(虻【あぶ】川)流域の山田村の可能性が強い後者は,五十目内と明記するので,五十目村をも包摂した山内村の誤写または別称とみられる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

山田村(中世)
 織豊期に見える村名...

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