ケータイ辞書JLogosロゴ 湯浦村(近世)


熊本県>阿蘇町

 江戸期〜明治22年の村名。阿蘇郡のうち。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,353石余,「正保郷帳」も同高でうち田960石余・畠393石余,「天保郷帳」1,406石余。「旧高旧領」741石余。「肥後国誌」では内牧手永に属し,「里俗東湯浦村ト云」とあり,高696石余。なお同書には当村のうちとして西湯浦村が別記され,江戸末期までに西湯浦村を分村。天保9年の村々調によれば,高741石,反別は田畑47町余,竈数64・人数309,牛馬186(史料阿蘇2)。平将門の乱に功があったと伝承する湯浦八幡宮がある。同社域に明治初年の貢租軽減の碑がある。ほかに天神社,阿蘇三十三か所観音巡りの長福寺および中福寺の観音堂がある。波多辺の湯浦原野には小国地方の貢租の便を図り,80年間貢献した杉平作弥の顕彰碑がたつ。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治初年内牧小学校湯浦分校が置かれた。同22年内牧村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454570
最終更新日:2009-03-01




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