ケータイ辞書JLogosロゴ 湯舟村(近世)


熊本県>旭志村

江戸期〜明治9年の村名合志【こうし】郡のうち鞍岳の西麓,原野の湯舟谷に位置し,所々の湧水を中心に谷々に集落が点在する地名に関しては,仁平・久寿年間頃,鎮西八郎為朝が当国に来て亀カ城に籠城した時,二郎兵衛高則という者が材木を筏にして夜々城内へ糧を入れたため当地を夜船と称し,のち湯船と転じたとする伝承がある(合志川芥)また,昔,当地に湯が湧出し,舟を浮かべて月夜を楽しんだため,夜舟もしくは湯舟と称したとする口碑もある地内には山道王の墓と称する円墳がある熊本藩領村高は,「寛永郷帳」206石余,「正保郷帳」も同高でうち田94石余・畠111石余,「天保郷帳」206石余,「旧高旧領」220石余慶長9年の検地帳(県立図書館蔵文書)によると,高200石余うち田94石余・畠111石余,同13年の検地帳(同前)では,高220石余うち田105石余・畠114石余,家数12・人数13,牛3・馬1寛永10年の人畜改帳によれば,家数58・人数53,牛13・馬8「肥後国誌」では大津手永に属し,高220石余,神社は仁平元年創建と伝える矢具大明神社のほか天神社,地内に亀カ城跡があり,当村の杓子田柳は天正年間横手村五郎という大力者が来て,飯を盛る杓子で草を刈ったのち,杓子を地に立てその後杓子から芽が出て柳が繁ったものという宝暦8年の田畑下名寄帳(同前)によると,高220石余,田畑反別14町余嘉永・安政年間,大津手永惣庄屋山隈権兵衛によって湯船の堤が築かれ,記念碑の碑文によると,その堤の周囲は1里8町,東西1町56間・南北5町34間で,面積は15町5反熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属同年麓村の一部となる
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454587
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ