ケータイ辞書JLogosロゴ 横島(中世)


熊本県>横島町

 戦国期に見える地名。玉名郡のうち。「上井覚兼日記」天正12年10月19日条に「横島へ御番ニ可被召置諸所仰付候,北郷殿・喜入殿・椛山殿・肝付殿・佐土原衆・都於郡・穂北衆・高城衆・根占衆など也,此度御出勢ニ何も遅参之所々也」とあり,出陣に遅参した者たちを当地の番衆に定めたことが知られる(古記録)。当時の当地は菊池川河口の海上に浮かぶ島であったと考えられ,この前年の天正11年11月,菊池川を挟んで竜造寺氏と島津氏が対峙した際,和議ののち竜造寺氏は当地に番衆を置いており(普聞集),当地は海上の要衝であった。また中世の貿易港であった伊倉の丹倍津(現玉名市)へは唐人川を利用する貿易船が出入りしたが,当地はその河口にあり,織豊期の天正20年の横島船衆喜早兵衛起請文(伊倉南八幡宮文書/県史料中世1)では,船子として1人も如在なく行動することを伊南八幡宮に起請しており,港の入口にあたる当地には水夫衆や舟船が存在したと推定される。なお,天正15年8月28日の佐々成政黒印状写(内田文書/県史料中世2)によれば,「山之上三名字中」に対し「〈玉名郡内〉いくら南方」の75町が宛行われているが,「浜・横島除之」の註記があり,当地は除かれている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454601
最終更新日:2009-03-01




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