ケータイ辞書JLogosロゴ 横島村(近代)


熊本県>横島町

 明治22年〜昭和43年の玉名郡の自治体名。横島・大園の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場を横島に設置。明治24年の戸数972,人口は男2,525・女2,468。同25年栗崎寛太ほか6名により富新開,同26年には明丑開【めいちゆうびらき】がそれぞれ5年の歳月を費やして完成。同26年服部連太ほか7名により明豊開,同35年には福島勉充ほか1名により大豊開が開かれた。昭和22年からは国営の干拓事業が遂行され,同42年昭栄・新栄の干拓地が完成している(横島干拓史)。台風による被害も多く,明治28年の台風で明丑開の堤防が決壊。同29年明豊開に海神社が勧請された。同33年横島村農舎が結成され,翌年石塘に郵便取扱所ができ,同38年郵便局に昇格。同36年横島村漁業組合が許可されているが,同39年秋の暴風雨により明豊開は多大な潮害を受けた。同年横島米券倉庫会社が開業,同42年横島水産が創立された。明治29年横島東・横島南・横島西の3小学校を合併して横島尋常小学校が設置され,同31年玉名南高等小学校,同39年には農業補習学校も併設されている。同43年横島教育会が発足。同年農業補習学校の学則を変更して,裁縫を主とした女子実業学校となったが,そののち大正10年には再び農業補習学校が併設された。大正3年高潮のため潮害を被る。大正7年処女会結成,同15年には農業補習学校に青年訓練所が併設された。翌昭和2年有明海の高波により再度の潮害を受けた。同4年大豊開に住吉神社を勧請。同8年横島商業組合が結成された。同年十番開に藁製縄組合が誕生,同13年金比羅橋が竣工した。同16年横島尋常小学校を横島国民学校と改称,同22年横島小学校と校名変更(横島小学校文書)。同年新制中学が設置され,同23年村立青年学校が廃止された。同25年横島中学校新築(横島の近代百年)。昭和21年には農民組合が結成され,同26年新横島村商工会が創立された。同29年横島招魂社建立。同32年には横島保育園が開設された。世帯数・人口は,昭和10年937・5,576,同25年1,201・7,163。同43年町制施行。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454603
最終更新日:2009-03-01




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