ケータイ辞書JLogosロゴ 吉田村(中世)


熊本県>白水村

 鎌倉期に見える村名。阿蘇郡のうち。弘安元年10月17日の成阿譲状(阿蘇文書/大日古13-1)に「ゆつりまいらするちとう職事,色見・山鳥・吉田・白川〈四村〉永田」と見え,村上源氏で大納言源定房の孫にあたる成阿(家定)は,当村など4か村の地頭職を文永8年以前に子息少将為定に譲与したが,今まで出仕せず,親のいうことも聞かないという理由でこれを悔返し,「おとゝ」(弟)に譲与している。なお,鎌倉期と推定される6月28日の法印定有挙状(同前)に「□(肥)後国阿蘇庄雑掌俊久□(申)色見・山鳥・吉田・白川四ケ□(村)一期領主源氏女抑留八講□(用)途間事」とあり,当村など4か村の一期領主源氏女が,八講用途を抑留したとして阿蘇荘雑掌俊久が訴えている。下って正平7年2月吉日の阿蘇社上葺等次第(同前)には「一,南四宮之分……一,裏之分……吉田」とあり,南四宮分の裏上葺用料材を南郷の他の3か所とともに負担している。また同18年閏正月25日の阿蘇社造営料木納帳(同前)にも「一,一丈七尺木 一本 よしたのふん〈さかなしとの〉」とあり,長禄2年7月25日の阿蘇社(カ)造営料木諸郷村支配状(同前)でも「吉田分」とあり料木が課されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454635
最終更新日:2009-03-01




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