ケータイ辞書JLogosロゴ 竜徳村(近世)


熊本県>菊鹿町

江戸期〜明治9年の村名菊池郡のうち木野川の支流初田川最上流域に位置する地内には墳丘に葺石の残る合瀬川古墳や石室残骸の露出する鬼の竈古墳がある熊本藩領天正17年の検地帳(県立図書館蔵文書)は上竜徳村と下竜徳村に分けて作成されており,両村合計の高は400石余慶長9年の検地帳(同前)は竜徳村とし高400石余,「寛永郷帳」400石,「正保郷帳」も同高でうち田300石余・畠99石余,「天保郷帳」401石余「肥後国誌」は深川手永内に竜徳村と記すが,里俗には上竜徳村と称するとし,高260石余なお小村は酒蔵野村などとある「旧高旧領」も竜徳村とするが,高は264石余となっているまた宝暦14年の田畑下名寄御帳(同前)や文化11年の深川手永手鑑(肥後藩の農村構造)は竜徳村・中竜徳村・下竜徳村に分け,下竜徳村は木野本分村と,中竜徳村は本分村と合算しているこれは近隣各村との土地の混交によると思われ,先の田畑下名寄御帳が把握する竜徳村にしろ,掲げられる小村55のうち,3小村を除いてほかはすべて他村と耕地が入り交じっていたなお文化11年の深川手永手鑑によると,竜徳村分の家数47・人数228,牛3・馬50,氏神松尾宮と観音堂・天満宮が記される熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属江戸期以来の土地混交が地租改正作業に支障をきたしたため明治9年分離合併が行われ,当村の過半は松尾村の一部,地内酒造野は池永村の一部となる(県公文類纂/県立図書館蔵文書)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454665
最終更新日:2009-03-01




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