ケータイ辞書JLogosロゴ 青柳村(近世)


大分県>久住町

江戸期の村名豊後国直入【なおいり】郡のうち久住【くじゆう】高原中央部,境川上流域に位置するはじめ岡藩領,慶長6年肥後藩加藤清正領,寛永9年からは同細川領久住手永に属し,久住手永惣庄屋の支配を受けた村高は寛永11年の「肥後藩人畜改帳」「正保郷帳」「見稲簿」「天保郷帳」では久住村のうちか「肥後国志」では年未詳の村高99石余「肥後国志」には桐迫【きりさこ】村の小村の1つに当村名が見える当村には南北243m・東西最大幅54mの細長い湧水池があり,納池【のいけ】とよばれ,中世には白丹南山城志賀氏の家臣の遊園地に利用されていたとの伝承があり,近世には加藤清正が公衆の遊園地にしたと伝えられている明治6年太政官布告で地域公園に指定される明治15年の「各町村字小名取調書」には久住村の字に青柳の名が見えることから,久住村に含まれたものか現在の直入郡久住町大字久住のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454728
最終更新日:2009-03-01




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