ケータイ辞書JLogosロゴ 朝日岳城(中世)


大分県>宇目町

戦国期に見える城名朝日岳之城とも書く豊後国大野郡三重郷宇目村のうち現在の南海部【みなみあまべ】郡宇目町の南東部,同郡直川村に近い標高336mの山上に所在した日向境に近い要害として,大友宗麟・義統【よしむね】の時代,対島津の守備のため築城され,大野郡の柴田紹安に守らせたという朝日岳之城は「上井覚兼日記」天正14年8月22日の条が初見であるが,城としては天正15年3月13日の大友宗麟感状(佐伯文書/大友興廃記)に,「今度土持親信相籠朝日岳之城刻,被出自身馬,令落城」とあるのが初見天正14年10月頃,島津家久・伊集院忠棟【ただむね】らの大軍が梓山を越えて大野郡宇目郷に侵入した時,城将柴田紹安は薩摩軍に内応して開城した家久は大友氏に滅された土持親成の子親信を入れてこれを守らせた翌年豊臣秀吉の援軍が来着して薩摩軍は豊後から敗退したが,同3月佐伯惟定らが当城を攻略して,土持親信を追い落とした(大友家文書録/大友興廃記)この戦いを最後として,廃城となった
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454784
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ