ケータイ辞書JLogosロゴ 梓口(中世)


大分県>宇目町

戦国期に見える峠梓越ともいう(上井覚兼日記)豊後国大野郡三重郷宇目村に属す現在の南海部【みなみあまべ】郡宇目町と宮崎県東臼杵【ひがしうすき】郡北川村との国境にある峠,梓山(梓嶺)は標高579m重岡から南下して黒土峠を通り,田代川(本川)の支流の谷を溯って南下し,水ケ谷【すいがたに】を経て梓口を通過して日向に越える延岡まで7里古来より豊後・日向越えの要路の1つ天正13年閏8月13日の大友府蘭(宗麟)書状に「去月十九日,嶋津中務大輔,土持へ令著陣,同廿一・廿者,あつさ口,佐伯者三口之通道を,功者二三人差遣見せ候て」とあるが初見(大友家文書録/大友史料27)天正14年島津軍は豊後侵入の際,予め梓越を偵察し,同10月ここから宇目村に攻め入り,三重に侵出した(上井覚兼日記)宇目村朝日岳城の城将柴田紹安が薩摩軍に内応して,城を開け渡した元禄12年定めた豊日の標柱があり,東下18町の所に,宇目7祠の1つの四代明神が鎮座するという(豊後国志)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454803
最終更新日:2009-03-01




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