ケータイ辞書JLogosロゴ 麻生郷(中世)


大分県>宇佐市

 鎌倉期から見える郷名。下毛郡のうち。文保2年5月,宇佐宮の神官実世は「豊前国下毛郡麻生郷藍原屋敷」の事について申状を提出。同状によれば,同所は野仲道雄に押領されていたが,正和の神領興行法により実世に返還された。しかしその後,妙法寺円証が押領してしまったので,再度実世に返還し,円証を罪科に処すよう訴えている(永弘文書195/大友史料4)。これを受けて同年7月10日,鎮西探題は妙法寺地頭代に出廷・弁明を命じているが(同前196/同前),妙法寺円証の押妨を完全に排除することはできなかったらしい。建武元年2月9日の円証の置文には「豊前国下毛郡麻生郷内御神領弥勒寺御領内,野仲郷御神領福光名内」と見え,妙法寺については嫡子宗平が,「御神領藍原并弥勒寺御領」については次男実平が,それぞれ配分した庶子の合力を得て年貢を沙汰するよう定めている(湯屋文書/大友史料5)。その後,応永21年7月8日付の矢上大蔵太夫および郡代宛ての弾正忠某奉書に「宇□(佐)郡御寺領麻生庄之内漆垣畠地」と見え,同地などを池永若狭守方に打渡すよう命じている(北和介文書/大友史料9)。ここには宇佐郡のうちとして「麻生庄」とあり,郷と荘との使いわけが明確になされているのかどうか,使いわけられているとすれば,どのように使いわけられているのか未詳だが,地域的にはおそらく同地域を指すものであろう。とすれば建武から応永に至る期間に,麻生の地が宇佐郡に編入されたと考えられるが,その理由は明らかでない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454805
最終更新日:2009-03-01




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