ケータイ辞書JLogosロゴ 阿蔵野村(近世)


大分県>久住町

江戸期〜明治8年の村名阿蘇野村とも書く(見稲簿)豊後国直入【なおいり】郡のうち久住【くじゆう】高原中央部,田町川と神馬【かんば】川にはさまれて位置するはじめ岡藩領,慶長6年肥後熊本藩加藤清正領,寛永9年からは同細川領久住手永に属し,手永惣庄屋の支配を受けた村名は宝暦年間の「肥後国中寺社御家人名附」に見え,村高は寛永11年の「肥後藩人畜改帳」「正保郷帳」では久住村のうちか「見稲簿」には「久住村内阿蘇野村」と見え,当村のほか桐迫【きりさこ】村・山中村を合わせて1,369石余とある「肥後国志」では年未詳の村高451石余,「旧高旧領」588石余当村には小村として獺ノ尾村・今村・杉尾野村・飛森村・下地村・袖冠村・神馬村・吉津村・中園村・道園【どうぞの】村・願成寺・払川村などがあり,宿場町久住の東部から南部にかけて散在していた(肥後国志)天保10年の「影踏御改」では人数は男215・女188(後年記)村内の神馬には一里山の地名が残っており,久住の宿場から1里の位置を示しているここを通る肥後往還わきに石灯籠が建てられており,久住山信仰と一里塚を兼ねているまた神馬川にかかる石橋は,文久4年に当地を通って長崎に向かった勝海舟が「小流甚だ多く,架する橋は皆石橋,円形に畳み,橋杭なし」と珍しがった石橋の1つで(海舟日記),現在でも保存されている明治4年大分県に所属同8年久住町・桐迫村とともに久住村に合併現在の直入郡久住町大字久住のうち
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454811
最終更新日:2009-03-01




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