ケータイ辞書JLogosロゴ 家野村(近世)


大分県>臼杵市

 江戸期〜明治22年の村名。豊後国海部【あまべ】郡臼杵荘のうち。文禄2年太閤蔵入地,同3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは稲葉臼杵藩領。村高は寛永11年の「高付帳」560石余,「正保郷帳」560石余,うち田178石余・畑382石余,「見稲簿」「安政高辻帳」ともに560石余,「天保郷帳」575石余,「旧高旧領」534石余。村組は家野村組。慶長6年3月稲葉典通が村内150石を上部氏を通して伊勢宮に寄進(稲葉家譜)。岩崎陳房が主体となって文政2年から5年の歳月を費やして井路を築造した(岩崎渠)。文政6年時の大庄屋は足立善太郎で持高は6石(臼杵物語)。元文5年地内松ケ鼻に禹稷廟を建立して旱災の除去を願った。禹王市は9月15日を市日とする臼杵領大市の1つ(桜翁雑録)。明治4年大分県に所属。同22年北海部郡下南津留【しもみなみづる】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7454884
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ