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- 石丸名(中世)とは
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石丸名(中世) 南北朝期に見える名【みよう】の名豊後国国東【くにさき】郡来縄【くなわ】郷のうち現在地未詳ただし都甲荘の石丸【いわまろ】とは別地正平25年2月27日の小山田社免石丸名坪付注進状に,「注進 宇佐小山田社免石丸名坪付事……一,豊後国来縄郷〈ヲチハシリ〉一所五段〈スナコ〉一所壱反廿〈ナゝツシロ〉一所六反 一所弐丁上野〈号松林〉一所壱反〈垣内,号堀町〉」とある(小山田文書/大友史料8)石丸名は小山田社免で小山田氏の本領宇佐郡・下毛郡・上毛郡・豊後国来縄郷などの諸郷に跨がり,とくに宇佐郡を中心とする散在名当名の初見は,元徳2年4月22日の法橋義円石丸名田去状案であるが(同前),当時から来縄郷内にその名田があったかは未詳来縄郷内の初見は前記史料で,3町2反20歩がヲチハシリ・スナコ・ナゝツシロ・上野(松林と号す)・垣内(堀町と号す)などに散在していた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石丸名(中世) 鎌倉期に見える名【みよう】の名豊後国大分郡阿南【あなみ】荘のうち現庄内町のうちと思われるが,現在地未詳「弘安図田帳」に,松武名36町2反内として,「石丸名一町六反,大友兵庫入道殿」と見えるのが唯一の史料(大友史料3)地頭は豊後守護大友頼泰入道道忍石丸名は,松武名内に新しく成立した名で,松武名を領した松尾惟隆の所領配分によるものと考えられ,当初は一族によって領有されていたものであろう大友氏の領有の時期および経緯は未詳石丸名の所在地について,後藤碩田は,「今石丸村笠和郷の中生石【いくし】村有,是か」と推定するが,生石村は元来笠和郷に属し,一時賀来荘に属したこともあるが,阿南荘松武名とは地理的に見ても離れており,妥当性がない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石丸名(中世) 戦国期に見える名【みょう】の名筑前国那珂郡のうち文明10年9月25日,入江藤次郎成親跡である石丸20町地が,筑前守護大内政弘からその家臣安富房行に宛行われている(正任記/大日料8‐10)また同年10月の筥崎宮神事用途注文によると,石丸名は元来筥崎宮領で,同宮の6月1日の神事に3石,8月15日の放生会に3石,閏月の神事に1斗米を納めることになっていたが,いずれも「不納」となっており,当時押領されていたことがわかる(石清水文書2/大日古)比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」