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- 石丸(中世)とは
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石丸(中世) 南北朝期から見える地名越前国吉田郡のうち「太平記」に延元3年に新田義貞の城として「河合ノ石丸ノ城」が見え,当地の城と考えられるが,下って延徳3年3月10日に冷泉為広がこの「イシマル」を通った時にも「城アリ」とされ,「其日火事アリ」と記されている(冷泉為広卿越後下向日記/県史研究3)河北(河合)荘に石丸名という名があり,長禄3年12月20日に後花園天皇より京都嵯峨正住院にその名主職が安堵されている翌長禄4年9月26日には将軍義政からも安堵されており,また某年12月22日の甘露寺親長書状によるとこのとき正住院は河北荘の公文職をも綸旨によって与えられていると主張していることからすれば,当名は公文職と関連ある名であったと推定される(醍醐寺文書)この石丸名は名の名称であるから,特定の地域を指すとはいえないが,同じ頃の長禄2年の河合荘松包名の作人に「石丸浄覚」が見え,地名化しつつあったことがわかる江戸期の石森村は「正保郷帳」で石丸村とされており,石丸の遺称である |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
石丸(中世) 鎌倉期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」