ケータイ辞書JLogosロゴ 一牟礼(中世)


大分県>玖珠町

南北朝期に見える屋敷名豊後国玖珠【くす】郡山田郷のうち玖珠川が玖珠盆地を流下して,深い峡谷をつくって日田【ひた】盆地に出る途中の,右岸の崖上に位置する現在の玖珠町大字戸畑【とばた】字一ノ村【いちのむら】に比定される建武5年10月17日の豊後国小田道覚跡田屋敷注文に,「屋敷一所一ノムレ」とあるのが初見(志賀文書/大友史料5)建武3年,玖珠城を攻め落とされた南党小田道覚の女子等の所領が没収され,志賀頼房に与えられた暦応元年11月5日の豊後国守護代寂本請文に,「彼女子分領内底小野屋敷・同脇家号一牟礼」とあるのが終見(同前)底小野【そこおの】屋敷の脇家(脇在家)であったこれらは魚返又次郎が先祖の本領と称して,志賀頼房に去り渡さなかった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455006
最終更新日:2009-03-01




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