ケータイ辞書JLogosロゴ 市丸名(中世)


大分県>三光村

鎌倉期〜南北朝期に見える名【みよう】の名豊前国下毛【しもげ】郡のうち初見史料は仁治2年5月14日付関東安堵御教書で,「下毛郡内市丸名」と見える(田口文書/大友史料2)その他,「下毛戻田口浦(保)市丸名」「下毛郡諫山郷田口浦(保)市丸名」「田口村市丸名」(田口文書/大友史料3・4・5)と表記されている現在の三光村大字田口の一部と推定される田口(田部)氏相伝の所領であり,松尾寺修造料を負担している市丸名の規模を示すものに,文保2年7月25日付田口成任譲状があり,市丸名田地は5町余であったことがわかるこの時点で田口氏は市丸名のほか鬼丸名・覚命名・能得名などの散在名田畠を領し,建武3年3月6日付田部(田口)信連著到状によれば「豊前国田口村市丸名地頭田口孫三郎信連」は足利尊氏方に馳せ参じている(田口文書/南北朝遺1443)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455017
最終更新日:2009-03-01




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