ケータイ辞書JLogosロゴ 一尺屋村(近世)


大分県>佐賀関町

 江戸期〜明治22年の村名。海部郡佐賀郷のうち。文禄2年太閤蔵入地,同3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年稲葉貞通領,同6年熊本藩加藤清正領,寛永9年以後熊本藩細川領。関手永22村中の1村で関郷会所の支配下にあった。村高は「正保郷帳」117石余,うち田82石余・畑34石余,ほかに柴山がある。「元禄石高帳」では変わらず,「天保郷帳」では121石余,「旧高旧領」126石余。文化7年の豊後国海部郡一尺屋村差出に高117石1斗余,家数218,うち本村112・下浦106,村の規模は東西31町30間・南北18町54間,天神社などを記している(一尺屋村志)。天明3年5月に当地を旅した古川古松軒は,佐賀関〜臼杵間の道中について「草ぼうぼうと生茂りし中を行事も有り。狼などの昼中にもおる道にて,胆を冷せし事多し」と記している(西遊雑記)。弘化3年8月,本村庄屋渡辺儀右衛門は関・大志生木・大平村庄屋らと連名で,時の惣庄屋岡松宰助に対し生活困窮などを理由に,庄屋給値上げを請願している(大平文書)。明治4年大分県に所属。同8年田ノ浦村を合併。同22年北海部郡の自治体となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455030
最終更新日:2009-03-01




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