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- 井手野村(近世)とは
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井手野村(近世) 江戸期の村名神埼【かんざき】郡のうち背振山地,背振山西部の嘉瀬川流域に位置する佐賀本藩領奥山内に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに70石余,「天保郷帳」では76石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに上藤原山村の小村に見える江戸後期の「神埼奥山内図」によれば,31戸の人家があり,白山【しらやま】駅(現在の佐賀市)へ7里,神埼宿へ5里11町,腹巻村へ1里29町,筑前飯場越え6里,椎場越え5里の里程である鬼ケ鼻の西翼に連なる高さ440間の井手野山とその西翼に連なる高さ450間の栗原山には出水があり,藩有林の伐材・盗伐の管理に山留と呼ばれる山方役人が配置され,奥山内の山留は養父【やぶ】郡の山留番所の支配下におかれた(三瀬村誌)筑前と国境をなす椎原【しいばる】峠には椎場番所が置かれ,通行人の監視と荷物の俵銭徴収を取り締まった米・大麦・小麦・裸麦・酒・焼酒・籾類は他領からの搬入を禁止し,粉糖・すて・酒糟・油・醤油・竹・木炭・薪・石炭類は領内からの搬出を禁止し,ともに搬出・搬入に俵銭を徴収した主な俵銭は米3斗に付き20文,大豆3斗に付き25文,胡麻3斗に付き50文,茶1斤に付き2文,塩1石に付き35文,砂糖100斤入1樽140文,苧10貫目入1丸に付き140文,すて100斤に付き15文,焼物1石に付き5文,鉄地金10貫目に付き70文,竹皮笠1枚に付き1文であった(三瀬陸地俵改)観音堂では信者間に死者が出た時,初七日の御布施を醵出する習俗が残っている(三瀬村誌)「明治11年戸口帳」によれば,藤原山のうちに「井手野分」と見え,戸数56・人口258 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」