ケータイ辞書JLogosロゴ 夷村(近世)


大分県>香々地町

 江戸期〜明治22年の村名。豊後国国東郡香々地【かかじ】荘のうち。慶長5年豊前小倉藩細川領,寛永9年豊前竜王藩松平領,正保2年幕府領となり,松平木付(のち杵築)藩領地。元禄2年日田代官支配地,正徳2年からは日向延岡藩領。魚住伝左衛門知行地で,はじめ夷手永に所属,惣庄屋忠兵衛の居住村(小倉藩人畜改帳)。元和8年の村高500石,家数123・人数188,牛38・馬3(同前)。「正保郷帳」487石余,うち田324石余・畑162石余,「見稲簿」545石余,延享3年の「国東郡寅物成割付写」516石余,「天保郷帳」546石余,安政元年の「延岡藩高辻帳」516石余,「旧高旧領」546石余。鎮守は養老2年勧請の伝承がある六所宮。寺院は天台宗夷山霊仙寺・実相院。霊仙寺は養老2年僧仁聞開基と伝え,実相院は享保2年の中興。江戸後期霊仙寺賢応が寺子屋を開いた。明治4年大分県に所属。同9年の戸数174,うち社2・寺2,人数774,牛110・馬20,田39町余・畑58町余(国東郡村誌)。同22年西国東郡三重村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455380
最終更新日:2009-03-01




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