ケータイ辞書JLogosロゴ 小俣(中世)


大分県>安岐町

 鎌倉期〜室町期に見える地名。豊後国国東郡安岐郷のうち。承久3年8月21日の六波羅下知状に「安岐郷小俣・波多以下嗣輔所領等」と見えるのが初見(大友史料2)。小俣以下は宇佐宮庁分政所惣検校益永氏の相伝所領で,嗣輔は惣検校職と御馬所検校職を帯している(益永家系図)。これらの所領を益永氏が帯するようになった経緯,時期などは不詳。この所領に対する甲乙人の濫妨をとめる関東下知状を受けて,この六波羅下知状が発給された。寛喜元年12月の前太政大臣近衛家実家政所下文案によると,小俣以下の所領は,益永嗣輔父母相伝の私領であったと見え,父忠輔の譲状の旨に任せ嗣輔の領掌を安堵するとある。これによって,益永氏が所帯する所領の領家は近衛家であることがわかる(大友史料2)。終見は応仁2年6月6日の益永肥前守某譲状で,安岐郷小俣,波多畠が見え,併せて小俣,畑(波多),永松などについては種々の秘計を廻らして知行せよと見える(益永文書/県史料29)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455741
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ