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- 柿木村(近世)とは
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柿木村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡耳忍【みみしの】郷のうち岡藩領大野川の支流奥嶽川左岸に位置する牧組に所属村高は「正保郷帳」54石余,うち田24石・畑29石余,「見稲簿」同高安永7年の小庄屋は喜太郎(農民一揆)寛政3年114石余・免7ツ4分,村位は下,庄屋は清右衛門(名面帳)文化2年村内岩戸に中継問屋を置き,米・豆・菜種・苧・麻など6品の大坂登荷物の取扱いを行うまた,羽田野兎四郎は抜荷目代役として,抜荷の監視をする(清川村誌)同8年岩戸直右衛門宅が百姓一揆の打毀しにあう(農民一揆)天保3年岡藩は臼杵藩に対し岩戸川通船を依頼(臼杵時代考)奥嶽川に岩戸渡があり,渡船1艘,飛石が置かれる(大野郡村誌)岡藩小制札所の所在地「天保郷帳」54石余,「旧高旧領」114石余明治4年大分県に所属同8年鉢山村と合併,臼尾村となる現在の大野郡清川村大字臼尾のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
柿木村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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