蒲江(中世)
南北朝期〜室町期に見える地名。豊後国海部【あまべ】郡のうち。応安4年11月14日,九州探題今川了俊の子義範は,南朝方の菊池武光と高崎城(現大分市)で合戦。この時日向の士土持時栄に宛てて「早馳越佐伯蒲江辺可被忠節」と軍勢を催促しているのが初見(薩藩旧記/大友史料8)。当地は室町期以降「夷海右道」と称される東九州沿岸航路にあたり,明船の経由地の1つとして「釜江」の名が見える(日本一鑑)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7455930
最終更新日:2009-03-01