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- 川底村(近世)とは
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![]() | 川底村(近世) 江戸期の村名筑前国嘉麻郡のうち古処山北麓高地に位置する東千手【ひがしせんず】村の枝郷(元禄郷帳・元禄国絵図・天保郷帳)はじめ福岡藩領,元和9年からは秋月藩領村高は,「元禄国絵図」「天保郷帳」ともに23石余「続風土記」に,「古処山に近く,ふもとには遠しかかる所も久しく住なれて,わびしからざるは,人のならわしなりや東千手村に属す」と記す「続風土記付録」には,「千手村の支邑なり山祇社・地蔵堂有り冬は寒気烈敷積雪春に至る」と記す「旧高旧領」には当村名が見えず,幕末・維新期までに再び東千手村に吸収されたと思われる現在の嘉穂町千手の一部にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川底村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 川底村(近世) 江戸期の村名豊後国玖珠【くす】郡帆足【ほあし】郷のうち森藩領日出生【ひじう】川左岸に位置する村高は「正保郷帳」72石余,うち田46石余・畑25石余,村内に柴山・茅山がある,「見稲簿」では日出生村の枝郷と見え109石余「豊後国志」には日出生村の枝村として川底の名が見える「天保郷帳」では日出生村1,355石余に含まれる現在の玖珠郡玖珠町大字日出生のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」