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- 小切畑村(近世)とは
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![]() | 小切畑村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国海部【あまべ】郡臼杵荘のうち臼杵川とその支流勘場川の合流地点付近に位置する文禄2年太閤蔵入地,同3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは稲葉臼杵藩領慶長2年の村高28石余,村位は下(臼杵庄検地帳)寛永11年の「高付帳」も同高「見稲簿」28石余,「天保郷帳」29石余,「安政高辻帳」28石余村組は寛永11年時家野村組,のち掻懐【かきだき】組に所属明治4年大分県に所属同8年広原【ひろばる】・提内【ひさぎうち】・大工川【だいくがわ】・正願【しようがん】の4か村と合併して武山【たけやま】村となる現在の臼杵市大字武山のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 小切畑村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡野津院のうち野津川中流域右岸の支流都松川流域に位置する文禄3年福原直高領,慶長2年太田一吉領,同5年からは臼杵【うすき】藩稲葉領生野原組に所属村高は慶長2年13石余,村位は下(野津院御検地帳)「正保郷帳」26石余,うち田8石余・畑17石余,「見稲簿」「天保郷帳」「旧高旧領」は13石余鎮守は天神社明治4年大分県に所属同8年生野原【しようのはる】村ほか5か村と合併,都原村となる現在の大野郡野津町大字都原のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」