ケータイ辞書JLogosロゴ 佐知村(近世)


大分県>三光村

 江戸期〜明治22年の村名。豊前国下毛【しもげ】郡のうち。天正15年黒田領,慶長5年中津(のち小倉)藩細川領,寛永9年中津藩小笠原領,享保2年からは同奥平領。幕末期は深水【ふこうず】組に所属。元和8年里三組深水手永に属し,村高623石余,家数90・人数143,牛22・馬9(小倉藩人畜改帳)。「元禄石高帳」520石余,「天保郷帳」787石余,「旧高旧領」820石余。慶長13年助三郎ら男女2人が豊後国玖珠郡森村に逃散,元和元年勘三郎ら男女2人が玖珠郡古後村へ逃散(松井文書)。慶長年間,新介ほか3人がキリシタン改めを受け,「ごゑい(御影)」「こんたす」などを提出させられて転宗(下毛郡伴天蓮門徒御改帳)。江戸中期は佐知組に属し,佐知組大庄屋が居住。「豊国紀行」に「羅漢のまへにさし出たる山あり。其処にある村なり」と見える。文化8年1月10日伊能忠敬一行が当村を測量(九州測量日記)。明治4年小倉県,同9年福岡県,同年大分県に所属。同22年下毛郡真坂【まさか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7456685
最終更新日:2009-03-01




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