- JLogos検索辞書>
- 志手村(近世)とは
「志手村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 志手村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国海部【あまべ】郡臼杵【うすき】荘のうち水晶山の南麓,青江川下流右岸に位置する慶長2年太田一吉領,同5年からは稲葉臼杵藩領道尾組に所属慶長2年の「豊後国海部郡津久見御検地帳」では村高150石余,村位は上(位付)村高は「正保郷帳」には見えず,警固屋【けごや】村238石余のうちか「見稲簿」129石余,「天保郷帳」133石余,「旧高旧領」150石余天保9年の村高129石余,免6ツ7分,うち田111石余(反別9町余)・畑28石余(反別4町3反余),家数28・人数163,牛28・馬3(仲野文書)寛文3年当村の石井正園が,対岸長野村の石灰洞より湧出する川水を青江川底に木管を通して灌漑用水として,付近一帯に良田を作り出したという天保9年大火により家屋24軒などを焼失明治4年大分県に所属同8年警固屋村ほか6か村と合併して下青江村となる現在の津久見市大字下青江のうち |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」